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今回は主要私大1977年文学部/外国語学部偏差値ランキングの動画です。
↓データをダウンロードしていただけます。グーグルスライド
https://docs.google.com/presentation/d/1yJI0_BGw2sFcFNEwcLieniXpO5LhJGN5MhOQSzwI_uk/edit?usp=sharing
1977年 文学部:女子大の全盛期と「バンカラ」校の苦戦
1. 「女子大」はGMARCH・関関同立のライバルだった
当時は、女性が社会に出るための有力な選択肢が「教育」や「教養」に重きを置いた文学部であり、その頂点に女子大が君臨していました。
- 「お嬢様」から「エリート」まで: 津田塾、東京女子、日本女子といった在京女子大はもちろん、関西でも神戸女学院や聖心女子といった大学が、GMARCHや関関同立と互角、あるいはそれ以上の偏差値を叩き出していました。
- ブランドの質: 当時の女子大は、単なる「花嫁修行」ではなく、高度な専門教養を身につける場として、現代の私立文系トップ層に匹敵する知的な憧れの対象でした。
2. 明治・法政の意外な「下位」:イメージの壁
現代では「明治・法政」といえば文学部も超難関ですが、1977年当時は有名私大の中で相対的に下位に位置していました。
- 「バンカラ」と「文学」の相性: 当時の明治や法政は、良くも悪くも「男臭い、荒々しい(バンカラ)」イメージが強く、文学部という繊細で洗練されたイメージが求められる学問においては、青山学院や立教、あるいは女子大に受験生を奪われていた背景があります。
- ブランド変遷の証拠: 明治が現在のようにおしゃれで洗練されたイメージに転換し、文学部の偏差値を押し上げるのは、2000年代以降のキャンパス再開発を待つことになります。
3. 「松山商科(現・松山)」の圧倒的な格:法政と同レベルの衝撃
商・経営のデータでも驚きがありましたが、文学部においても松山商科大学の強さは特筆すべきです。
- 四国の最高学府としての誇り: 地方の単科大学(当時)でありながら、東京の伝統校である法政大学と肩を並べていた事実は、当時の地方名門校がいかに「その地域の天才」を集めていたかを示しています。
- 全国区の実力: 「地方だから」という妥協ではなく、純粋な学問的評価において、中央の有名校を脅かす存在であったことがこの数字から読み取れます。
4. 「甲南・京産」 vs 「日東駒専」:関西私大のプライド
日本・駒澤・専修(日東駒専)が、甲南・京都産業よりも下位にあったという事実は、当時の関西私大の「格」の高さを示しています。
- 甲南のブランド力: 特に甲南大学は、阪神間の富裕層の子弟が通う「洗練された名門」としての地位が確立されており、東京のマンモス校である日大などよりも高い偏差値を維持していました。
- 産近甲龍の「底力」: 1995年の肉薄期(前回分析)よりもさらに遡ったこの時代、関西の中堅私大は、まだ東京の一極集中に飲み込まれる前の、独自の高い教育水準と誇りを持っていたことが分かります。
歴史から学ぶ「言葉の力」とSPI
【講師からのアドバイス】 「1977年の偏差値表を見ると、かつて女子大や地方の名門校がどれほど輝いていたかが分かります。文学部は単なる『本を読む学部』ではなく、論理的思考と豊かな語彙力を養う最高峰の教養の場でした。
時代は変わり、大学の序列も入れ替わりましたが、就活のSPIで問われる『言語分野(長文読解や語句の意味)』の本質は、まさにこの時代の文学部が大切にしていた『言葉を正しく扱う力』そのものです。
大学のブランドは時代と共に移ろいますが、磨き上げた『知性』は一生裏切りません。かつての女子大生たちが誇りを持って学んだように、皆さんも自分の選んだ場所で、確固たる『論理の力』を身につけてほしいと思います。」

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