こんにちは。大阪の社会人/大学生向け個別指導-SPI数学塾の吉田です。
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今回は主要私大1977年法学部偏差値ランキングの動画です。
↓データをダウンロードしていただけます。グーグルスライド
https://docs.google.com/presentation/d/1UI7iHlebPh0X803OPRhIfLX7I00XXrJ9kZ-ZqAcuWRc/edit?usp=sharing
1977年 法学部偏差値:中央・早稲田の二強時代と関西勢の躍進
1. 「法科の中央」と早稲田の双璧
1970年代、私立大学の法学部において中央大学と早稲田大学は、他の追随を許さない圧倒的な存在でした。
- 司法試験の実績がすべて: 中央大学法学部は「司法試験合格者数日本一」を何度も達成しており、東大をも脅かす存在でした。そのため、偏差値でも早稲田と並ぶトップに君臨していました。
- 実力の証明: 当時の受験生にとって、中央法学部は「弁護士・検事・裁判官を目指すならここしかない」という、学問的権威の象徴でした。
2. 慶應義塾大学の「低迷」とその裏にある入試戦略
慶應の法学部が、中央や早稲田に大きく差をつけられていた事実は、現代の受験生には信じられないかもしれません。
- 「経済の慶應」という学内ヒエラルキー: 当時の慶應内では経済学部の地位が圧倒的に高く、法学部は相対的に「入りやすい学部」と見なされていました。
- 小論文の壁: 入試科目に「小論文」を課していたことで、画一的な知識を問う他大学の試験と異なり、偏差値が低く出やすい構造(受験層の限定)がありました。しかし、これにより慶應は「論理的に書ける人材」を独自に確保していたとも言えます。
3. 「西高東低」? GMARCHを圧倒した関関同立
1977年当時は、関西圏の大学の地位が現在よりも非常に高かったことが分かります。
- 関関同立のブランド力: 同志社、関西学院、立命館、関西の4校は、東京のGMARCH(学習院、明治、青山学院、立教、中央、法政)の多くを偏差値で上回っていました。※中央は法学部のみ別格扱い。
- 地域分散の時代: 現代のような「東京一極集中」が進む前であり、関西の優秀層が地元に留まり、誇りを持って関関同立へ進学していたことが数値に表れています。特に関西大学法学部などは、伝統的に司法試験に強く、非常に高い評価を得ていました。
4. 創価大学の台頭:新設校の躍進
1971年創立の創価大学が、わずか数年で「準有名レベル」までランクを上げていた点は注目に値します。
- 徹底した教育支援: 当時から学生への手厚い指導や資格試験対策に力を入れており、新設校ながら急速に難易度を上げた、当時の「台風の目」のような存在でした。
講師の視点:歴史から学ぶ「地力の重要性」
1977年のデータを見ると、中央大学がなぜ『法科の中央』と呼ばれ、恐れられていたのかがよく分かります。偏差値の高さは、そのまま『司法試験への執念』の現れでした。時代が変わり、慶應が偏差値でトップに立ち、法学部が重んじる**『論理的思考力(リーガルマインド)』**の価値は変わりません。慶應が50年前から『小論文』を課していたように、今のSPI試験で問われているのも、知識の量ではなく『筋道を立てて考える力』です。大学のブランドが移り変わる歴史を知ることで、受験生の皆さんは『今、本当に身につけるべき一生モノの力』が何であるか、その本質が見えてくるはずです。」


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