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1. 昭和30年代、中央大学が「東大を圧倒」 2. なぜ中央大学はここまで強かったのか?
3. 多摩移転による「冬の時代」と、茗荷谷への都心回帰 4. 今後の大挽回 まとめ
昭和35年~39年大学別司法試験合格者数↓データ
https://docs.google.com/presentation/d/1s8OEeP5FV62x6dQn5vW9L6RHqP5L9kph5pkYH6uBmf0/edit?usp=sharing
1. 昭和30年代、中央大学が「東大を圧倒」していた事実
動画を見ると、現代の感覚からは信じられないほどの格差が確認できます。
- 圧倒的な合格者数: 昭和39年度で見ると、中央大学(174名)に対し、2位の東京大学は67名。中央大学は東大の約2.6倍という、文字通り「桁違い」の強さを誇っていました。
- 私立大学の躍進: 中央、早稲田、明治、日本大学といった私立勢が上位に食い込んでおり、特に中央大学は昭和35年から39年にかけて、毎年100名〜170名以上の合格者を出し続け、独走状態にありました。
- 関西勢の健闘: 京都大学が3位を維持しつつ、関西大学、大阪大学、神戸大学、立命館、同志社といった関西圏の大学も名を連ねており、法曹界における当時の学閥の形成過程が見て取れます。
2. なぜ中央大学はここまで強かったのか?
当時の司法試験は現在のロースクール制度とは異なり、合格率が極めて低い「一発勝負」の超難関試験でした。その中で中央大学が強かった理由は、以下の「仕組み」にありました。
- 「真法会(しんぽうかい)」の存在: 学生が主体となり、合格した先輩が後輩を教えるという独自の指導体制が確立されていました。
- 「法科の中央」というブランド: 「司法試験を目指すなら中央」という志の高い学生が全国から集まり、切磋琢磨する学風が完成していました。
3. 多摩移転による「冬の時代」と、茗荷谷への都心回帰
1970年代後半、中央大学法学部は多摩キャンパスへと移転しました。しかし、これが結果として司法試験対策においてはマイナスに働いたと分析されています。
- 地理的制約: 裁判所や弁護士事務所、司法試験予備校が集まる都心から物理的に離れたことで、実務家との接触や最新情報の入手が難しくなりました。
- 都心回帰(茗荷谷キャンパス)の影響: 2023年、法学部が文京区の茗荷谷(みょうがだに)キャンパスに移転しました。これは単なる引っ越しではなく、「最強の法科」を取り戻すための戦略的撤退からの反撃です。
- 利便性の向上: 駿河台記念館(法科大学院)や都心の官公庁に近接し、実務家教員との連携が容易になりました。
- 優秀な層の回帰: 「都心で学びたい」という優秀な受験生が再び中央大学を第一志望に選ぶ流れが強まっています。
4. 今後の「中央大学・大挽回」の予想
かつての圧倒的な合格実績を知る世代からすれば、今の中央大学の状況は「本来あるべき姿」に戻ろうとしている過程に見えます。
- ブランドの再構築: 「東大・京大に次ぐ法曹輩出数」という地位を盤石にするだけでなく、都心回帰によって早慶との併願層をどれだけ取り込めるかが鍵となります。
- 教育体制の進化: 昭和の「先輩が教える」伝統に、現代の「ロースクールとの一貫教育」が加わることで、再び「司法試験と言えば中央」という時代が再来する可能性は十分にあります。
まとめ
昭和30年代のこの表は、中央大学にとっての「誇り」であり、同時に現在の学生にとっては「目標」となる指標です。茗荷谷への移転は、まさにこの表にあるような「黄金時代」を21世紀に再現するための、最大の布石と言えるでしょう。早稲田、明治、日本大学、関西大学、立命館といった旧法律系大学の伝統の強さ、キリスト教系大学で異彩を放った同志社の存在を知っておいても良いでしょう。


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